主張の概要
以下に,本論考における私の主張の概要を述べる。
私達は,起きている間は常に自身の体を支えている。体位を維持する活動を行っている。一定の割合の人がこの体位維持の仕方を不利なものにしてしまうと,私はアレクサンダー・テクニークを基にした姿勢動作指導の活動を通じて感じている。そして,こうした人は不利な体位維持の仕方により,体の負担を大きくし,体の故障や慢性的な痛みなどの問題を起こしやすい。また,不利な体位維持の仕方により,体に余計な筋緊張を加えてしまうなどから,こうした人は姿勢や動作,呼吸,発声を不利なものとし,様々な活動のパフォーマンスを劣化させることになると考えている。
静止時における不利な体位維持の仕方の一つは,実行者が体軸にある「体を支える骨」の関節で,屈曲することや過伸展することを容認する体位維持の仕方(骨傾斜容認)である。もう一つは,実行者が体の重心位置を支持基底面上の適切位置から乖離させることを容認する仕方(重心乖離容認)である。動作時では,実行者が体軸の主要関節部で過剰に共縮させる体位維持の仕方(過剰共縮制動)である。特に腹筋群と首の筋群の筋緊張が過剰なものにしていやすい。過剰共縮制動をしてしまう一つの背景に,動作の速度が速いことが挙げられる。速度を落として行えば,腹筋群と首の筋群の筋緊張を緩和させられたにもかかわらず,一定の速さを超えるためにこれらの筋緊張が強く生じることになる。
ここで挙げた体位維持の仕方は,筋緊張を過剰なものにし,動作や呼吸といった機能を制約するという点で,不利な体位維持の仕方となる。
一定の割合の人がこうした不利な体位維持の仕方でいる理由は,私達はその体位維持の仕方を「楽(ラク)」と感じるからである。また,それが筋力に依存した単純な対処となり,私達が体位維持の仕方に注意を向けずにいても,体位維持を実現するものだからである。これらの不利な体位維持の仕方は,体位維持や動作の有利性よりも楽さや単純さが優先されているものといえ,「即席な対処」となっているといえるだろう。前述した骨傾斜容認,重心乖離容認,過剰共縮制動の体位維持の仕方をまとめて,「即席保全」とここでは呼ぶ。
つまり,一定の割合の人は,結果的に「体を支えられればそれでよい」という考えでいて,即席な体位維持の仕方に陥っているということである。確かに,この即席の体位維持の仕方によって実行者は自身の体を支えることができ,ほぼ全ての活動を行えるだろう。しかし,それが不利なものであるため,実行者は体に負担が大きくなり,動作やパフォーマンスを制約することになってしまうのである。
体の痛みがあったり,パフォーマンス上の問題がある人も,自身の問題の原因が「体の支え方」からくる問題とは思っていないだろう。一般的な技術・動作指導や医療においても,この点は指摘されていない。このため,体位維持の仕方は不利なまま放置され,こうした問題の改善に至りにくいように感じている。
仮に,是正を目指す人が自身の問題が体の支え方による問題だったと認識したとしても,この体の使い方の是正にはいくつかの難しさがあり,容易には是正できない。是正の難しさの背景には,「脳における即席保全の自動プログラム化」と「強い筋緊張の感覚への実行者の慣れ」などの要因がある。
「脳における即席保全の自動プログラム化」とは,実行者が注意を向けずとも体位維持を達成できるように,脳で即席保全の自動プログラムを構築することである。つまり,即席保全を考えずともできるようにするということである。習慣として定着させることともいえる。そしてその結果,こうした人は余計に筋緊張が生じている状態になるわけだが,それが継続することから,その状態の感覚に慣れることになるといえるだろう。これが「強い筋緊張の感覚への慣れ」である。
即席保全からの是正の難しさをいくつか示す。即席保全を定着させた人は,最小限の筋緊張で姿勢を維持する感覚を失うことになる。その中で特に失われる感覚は,「自身の体に重力が働く感覚」となる。「体の重さの感覚」ともいえる。即席保全の人は,体の倒れる力(重力)以上の力(筋収縮)で,継続的に体を支えてしまうからである。そして,動作時にも最小限の筋緊張で動作をする感覚を失うことになる。そして,「筋や関節を使う」動作意図を無自覚で持ちやすい。この動作意図によって,強い筋緊張を再現してしまうことになる。
また,強い筋緊張の感覚への慣れにより,強い筋緊張がある状態に安心感を得ることになり,有利な状態となる筋緊張を緩和させた状態に不安定感などの違和感を得ることになる。つまり,是正した際に違和感を得てしまうことになる。さらにいえば,そもそも私達が筋緊張を過剰にしているかどうかを自身では認識しにくいといえるだろう。私達は筋緊張の感覚を得ることができるものの,その程度を他の人や基準と比べることは容易にはできないからである。これらが,是正の難しさとして挙げられる。
難しさはあるものの,是正は可能である。是正にあたっては,「脳の自動プログラム化」が関わっていることから,是正者の認知過程を活性化することが求められる。つまり,体の使い方に対する「意識の仕方」を変えていく必要があるということである。これは,認知行動療法の考えに基づく。具体的な意識の仕方としては,「自身の体の状態に気づくようにし,自身の体を支えていることを考え,自身に指示を出すように有利な体の使い方を意図していく」とよい。
有利な体の使い方の意図としては,「体軸の骨を立てた状態(立骨状態)で支え,体の重心を支持部位に対して適切に位置づけること」,「動作速度を過度に上げないこと」,「腹筋群と首の筋群をできるだけ筋緊張させないようにすること」,「呼吸に気づき息を吐くようにすること」などが挙げられる。また,これに加えて,体に重力が働いていることや体の重さの再認識を促し,その体の重さによる荷重の力を体位維持の安定化に活かすために,「支持部位を考慮し,支持部位に体重を預ける」ことも意図するようにする。
他にも,即席保全の人が陥りやすい「筋や関節を使う」動作意図を避けるために,「目的の動作や状態を導く先導端となる部位を決めて,その部位を動かすと意図し,筋収縮や関節変位は自動的に行われると考慮する」(目的端先導の意図)ことも持つべき意図として挙げられる。また,支持部位と床面や座面との間の摩擦を活かすために,支持部位に体重を預けた上で「支持部位が止まっていることを考慮して,先導端を動かす」という意図(重鎮基底制動)も動作を有利にする。
ここで述べた有利な体の使い方は,姿勢形成や動作時における効率的な体の止め方ともいえる。その止め方は,「置物を置くように,自身の体を床に置く」ようなものとなる。この意図の仕方によって,実行者は自身の重量を再認識しやすくなり,自身の重量による荷重と床反力,骨の反力を,体を止めることに活かせるようになると考えている。
多くの人は体を動かす時に,動かすことや目的を達成することに注意を向けて,自身の体を止めていることを考慮しないだろう。このため,体位維持の仕方が即席な方法となって,筋緊張を強いものとしやすい。有利な体の使い方を目指す人は,盲点となる「体を止めること」も同時に考えるとよい。そして,「体を置く」と考えて効率的な止め方を意図するとよい。これを「プレイシング(Placing)」と呼び,意図していくことを勧めている。
このように有利な体の使い方を目指す人には,自身の体位維持の仕方を自動プログラムに任せて放置するのではなく,それに注意を向け,体位維持の仕方を含めて有利な体の使い方を意図することを勧める。つまり,注意を向けずに事後的な対応をする態度ではなく,事前に適切にマネージメントする態度を持つということである。有利な体の使い方を意図する実行者の態度のことを「有利意図」とここでは呼ぶ。これは「即席保全」の対義語にあたる。
以上が第1章から第5章までの理論を示した章の概要となる。上述したことの他に,「骨を立てる状態(立骨状態)」などの有利な体位維持の状態とはどういうものか,について本文では具体的に述べている。第1章と第2章では,モデルを用いてその有利性の論証を試みている。論証部分は,専門的な表現も多く,難しく感じる読者は飛ばして読み進めてほしい。また,第6章と第7章は理論を基にした実践の仕方を示している。ここで,いくつかの基本的な姿勢形成や動作の有利なものを実現するにあたって意図することは何か,について具体的に述べている。「頭に注意を向け,頭と共に動く」「体の前側に支えがある」「腕で力を発揮する際に,頭の額と胸骨上端部から力を伝えるようにする」など,独自の方法だが実際に役立つ有効な意図について,その根拠と共に述べている。
姿勢や動作に加えて,第8章では呼吸やその呼吸機能を用いる発声,歌唱,管楽器演奏時における有利な体の使い方について述べている。実行者は呼吸を意識的に効率的なものにできれば,負担軽減だけでなく,心理的に落ち着きやすいなどのメリットを得られる。呼吸は体位維持活動と密接な結びつきを持っているため,実行者の体位維持の仕方がその呼吸の質を左右すると考えている。世の中には様々な呼吸法や呼吸の意識の仕方があるが,ここで勧める呼吸の仕方は,体位維持活動と呼吸を結びつけていることに独自性がある。
動作時は,その動きをリードする「目的端先導の意図」を持つとよいと述べた。発声における目的端先導の意図は「相手に届く声を出す」というものとなる。この意図の方が,「お腹に力を入れて声を出す」「声帯や喉で声を出す」という意図よりもよい。また,歌唱や演技の発声,管楽器演奏の活動は表現芸術でもあり,有利意図の人は,こうした活動時における目的端先導の意図として「自分の表現したい情景や感情や想いを,聴いている人に伝える」「自分の出したい声,音を出す」とするとよい。実行者が有利な体位維持の仕方をしていれば,こうした目的の意図によって体の諸機能は実行者の想いを具現化しやすくなると考えている。
音楽や演技などの表現活動を行う人は,表現となる音楽や演技だけに注意を集中する一方で,体位を維持することには注意を向けず,放置しやすい。しかし,体位維持状態の有利性はそのパフォーマンスを左右するため,表現者は体位維持の仕方に一定の注意を向けるべきである。
第9章では,心理的プレッシャーや情動の体位維持への影響とその対処の仕方について述べている。試合本番や人前での発表など心理的プレッシャーを受ける際に体が固くなり,自身の通常のパフォーマンスが実現できなくなる人がいる。いわゆる「あがり」の反応である。こうした人は,心理的プレッシャーを受けた際に即席保全の体位維持の仕方に陥っていると考えている。実行者は心理的プレッシャーの強い刺激の中で安心感を得ようとして,「確実な支え」ともいえる強い筋緊張による体の抑止を無自覚に採用してしまうのではないか,という考えである。
実行者が心理的プレッシャーを受けた際に,有利な体の使い方や呼吸の仕方を意識的に実現できることは,心理的プレッシャーによるパフォーマンスへの悪影響を最小限にするメンタル面の技術となる。つまり,有利な体の使い方や呼吸の仕方を意識的に実現していくことは,競技者やパフォーマーらにとって有効なメンタルトレーニングとなる。
敵意や恐怖を感じたり,不安や心配,切迫感や悲嘆があるなど,ネガティブな情動があった際にも,私達は即席保全の対処に陥りやすいと考えている。こうした情動の背景にはストレスが関係する場合が多いが,実行者の即席保全の対処の継続はストレスによる体への悪影響を大きくする。ストレスによる体への悪影響を極力少なくするために,実行者は有利な体位維持の仕方を意図して実現するとよい。実行者はこの対処によって,ストレスとなる外部環境を変えられるわけではないが,ストレスによる体の反応の仕方をより負担の少ないものに変えられるようになる。
第10章では,体の使い方に向ける注意について,その考え方,具体的な注意の向け方を述べている。即席保全を是正していく人は,自身の体位維持活動や動作の仕方に一定の注意を向ける必要がある。これを「自己ユース注意」とここでは呼ぶ。実行者には同時に,外界への注意や行為の目的達成に向けた注意も必要である。これを「外界目的注意」とここでは呼ぶ。この双方の注意を統合することが,よりよいパフォーマンスを導く実行者の注意の向け方となると考えている。
体へ注意を向けることがパフォーマンスに悪影響を与えるとする考えもあるものの,自己ユース注意はこれにはあてはまらないと考えている。それまで外界目的注意のみだった人からすれば,自己ユース注意を加えるということは,集中しておらず,注意が散漫となっているように感じるかもしれない。自己ユース注意は行為の成否や有利性に関係する注意であり,有利意図の人は自己ユース注意を加えて統合した注意の向け方を「新しい集中の仕方」と考えるべきである。
第11章では,前述したようにアレクサンダー・テクニーク(AT)が有効である理由と,私が考える既存ATの補足すべき点を述べている。
以上が,本論考における私の主張の概要である。
(第1章につづく)
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