第11章 アレクサンダー・テクニークが有効である理由とその補足すべき点(その3)

有利な体の使い方 姿勢・動作・呼吸・発声




2. 既存のアレクサンダー・テクニークで補足すべき点(つづき)

腹筋群の筋緊張の抑制に触れていないこと

既存のAT指導者は,首の筋緊張については注目するものの,同時に入っている腹筋群の筋緊張はあまり注目しないだろう。これも指導者の共通理解がないものであり,指導者によって対応の仕方が異なるものであろう。

過剰共縮制動は,実行者が首の筋群と腹筋群の両方の筋緊張を強めるものである。私は,腹筋群の筋緊張の状態を把握することは,首の筋緊張の状態を把握することよりも容易だと考えている。その理由は,常に行っている呼吸によって実行者が腹筋群の筋緊張状態を把握することができるからである。首の筋緊張の状態については,実行者は頭を動かさないとわかりにくいが,腹筋群であれば呼吸という常に行われるものでその状態を確認できるため,新たな動きを加える必要はない。また,指導者としてクライアントの状態把握をしていく際にも,首の筋群よりも腹筋群の方がその筋緊張の状態を把握しやすい。このため,指導者はクライアントの腹筋群の筋緊張にも注意を向けていく方が,クライアントの姿勢や動作が理想的なものか否かをより容易に把握できると考えている。

F.M.アレクサンダーは,腹筋群の筋緊張が首の筋群の筋緊張と同時に起こっていることを指摘していない。それは,F.M.が自身の発声の問題を改善させる過程で,ATという是正法を見出していったからではないかと思う。発声時には,一定の腹筋群の筋緊張が求められる。発声の動作に腹筋群が直接的に関わっているからである。このため,腹筋群に余計な筋緊張が生じているかどうかはより分かりづらいものとなっていたはずである。F.M.は,自身の発声が改善した経験から,頭部制御と首の筋緊張の抑制に注目していくことになったのだろう。この制御をプライマリー・コントロールと表現した。そして,発声以外の活動においても,頭部制御と首の筋緊張の抑制を考慮することで有利な状態を導けたため,頭部制御と首の筋緊張の抑制のみを重要な制御と考えたのではないかと思う。このために,腹筋群への注目が起こらなかったのではないかと考えている。

日本の武道や古来の身体観では「肚(はら)」といって,腹部に一定の注意を向ける考えがある。「肚」の最適な状態を形成することによって,実行者はよりよい動作を行えるという考えである。しかし,「肚」の最適な状態は,具体的に表現できない感覚的なものとされ,訓練によって得られるものとされている。私は,腹筋群の筋緊張を過剰にしていない状態が,これらの熟達者の考える「肚」の理想状態ではないかと考えている。つまり,これらの熟達者は,腹筋群の最小限の筋緊張で姿勢を形成し,動作を行っているのではないかという考えである。

「肚が据わっている」という人が物事に動じない様を示す表現がある。この表現は,ある人が状況変化など物事に変化があった際にも,腹筋群を過剰に筋緊張させずにいる状態を示していると考えると,この表現がこの意味を持つ理由に納得できる。

このように「肚」は心理面の様や反応もその意味に含む。このため,「体と心の中心」「人間の中心」と評されたりする。私は,実行者が腹筋群の筋緊張を抑制していくことが,心理面の体への影響を最小限にするという考えを述べた。私の考えからも,腹筋群の筋緊張は心理状態と体の使い方を結びつかせる事象であるといえるが,このことは「肚」が「体と心の中心」のように評されることと整合する。
このような日本の武道や伝統的な身体観の考えもあり,実行者が首だけでなく腹部にも注意を向けて適切に制御していくことはおかしいことではなく,有効な対処となると私は考えている。



動作や反応速度の考慮,バルサルバ操作の抑制が示されていないこと

私達はある刺激に対して即座に反応すれば,首を強く筋緊張させてしまいやすい。このことから既存のATでは,即座に反応せずに自身への気づきを促すことを実行者に勧める。一方で,私達が速すぎる動作をしたり,初動を速くした場合に,首の筋緊張を強めて過剰なものとしてしまいやすいことは,AT指導者の共通の理解にはなっていない。また,一定の割合の人がバルサルバ操作を様々な活動で用いてしまいやすく,筋緊張を過剰にしていることも,AT指導者の共通の理解にはなっていない。指導者によっては,レッスンでクライアントの呼吸を促していたり,動作スピードをゆっくりさせるように指摘しているかもしれない。しかし,その注目の程度は指導者によって異なり,指導者によってはクライアントへの指導だけでなく,指導者自身の体の使い方としても,こうした余計な反応を見逃してしまっているかもしれない。

ノン・ドゥーイングは適切な表現ではない

既存のAT指導者の中には,「何もしない」という意味の「ノン・ドゥーイング(non-doing)」という考えをクライアントに勧め,その指示を出すことを勧める人がいる。この考えは,実行者がノン・ドゥーイングでいることで適切な姿勢や動作を実現できるようになるという考えに基づくものである。

ノン・ドゥーイングの考えは,首の筋緊張を抑制するインヒビションから発展したものと考えている。「余計にやっていることを全てやめれば,よりよい状態に至り,よりよい動きを導ける」というのが元々の考えだったのではないかと思う。しかし,その考えが発展して「やっていることを全てやめれば,よりよい状態になる」という考えに至っている場合もあるかもしれない。私は,ノン・ドゥーイングは適切な表現ではないと考えている。

確かに首の筋緊張が抑制されている理想状態では,その筋緊張が最小限のものであることから,実行者は「何かをしている」感覚を得にくい。しかし,実行者が得ているこの感覚はあくまでも感覚であり,実際には実行者は様々な姿勢制御の筋活動を行っている。実際の実行者の活動としてはノン・ドゥーイングとは言えない。そもそも,ノン・ドゥーイングという指示で導く理想状態に至るために,実行者は頭部制御などのいくつかの制御を行っている(doing)ことを考えれば,その考えが矛盾していることがわかる。

そして,ノン・ドゥーイングの「何もしない」という表現における一般的な解釈としては,「何もしなくてもよい」「任せればよい」となりやすいだろう。実行者がこのように解釈する場合は,この考えによって逆に,筋や靭帯といった張力組織に依存する骨傾斜容認や重心乖離容認となりやすいように私には思える。実行者が自身を良好な状態に導くためには,ストラテジーを持ってマネージメントする必要があり,実行者はそのために注意を向けて意図を持つことが必要であると私は考えている。こうした対処の仕方は,「何もしない」や「何もしなくてもよい」という対処の仕方とは対極にあるものである。

このノン・ドゥーイングの指示が役立つケースがある理由を私なりに推測すると,実行者が「何もしない」ように考えることで筋緊張を抑制していくことになり,それによって実行者は重力の働きによる自身の体への影響を感知しやすくなり,また床反力や骨の反力を感知しやすくなるからではないかと考えている。

重力の働きや,床反力,骨の反力を感知して活かす方法は,私が述べてきた体の使い方である。実行者が自身の体の骨を立骨状態とし,自身の体重と支持部位のことを考慮し,「体を置く」と考えてその重さを鎮めることを意図することである。これは「ノン・ドゥーイング」という抑制の指示ではなく,何をすればよいかという望ましい対処を示した意図である。能動的にマネージメントしていく方法である。ノン・ドゥーイングの指示は,この意図で代用できることに加え,実行者に誤解を与えやすいものであり,私は用いていない。

動作の仕方についてだけでなく,物事には余計なことが含まれやすい。「余計なことをやめる」という考えはあるべきだが,「全てをやめる」というのは極端である。「レス・ドゥーイング」であれば,実行者はより効率を考えた動作を意図しやすくなるかもしれない。

第11章その4につづく)
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有利な体の使い方 姿勢・動作・呼吸・発声


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